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橋田寿賀子さん著書から日本の安楽死を考える。4要件やアンケートなど

夜明け 僕の口コミ

橋田寿賀子さんが書かれた「安楽死で死なせてください」という本をきっかけに安楽死について考えてみました。

この本のレビュー、安楽死についての個人の考え、安楽死についての日本人の意識アンケート結果、実質的に許容されるという要件などについて述べています。

「安楽死で死なせてください」はものすごく納得する

まずこの本の簡単なレビューですが、私にとってものすごいインパクトであったと同時に、まさに自分の考えとぴったりはまっていました。

とにかく、

  • 自分の子供や誰かに、過剰な介護負担をかけてまで生きていたくない。
  • 死んだ後、誰にも迷惑や金銭的負担をかけたくない

という強い思いはものすごく共感しました。

介護による「介護者の精神的、肉体的負担」が強くなっています。

老々介護も増えていますが、自分が自分の子供から介護をされる側だとして、その子も40代を超えていれば、体力的には衰え始めていることも多いと思います。

また、結婚して子供もいるようだと、本来は自分の家族を守るだけで精いっぱいなはずです。

そこへ、自分の介護負担まで負わせるなんてことはとても考えられません。

子供は子供の人生を精いっぱい生きて欲しいんです。

なので、自分が、誰かのお世話なしで生きていられない時、もう無理に生きなくて良いのではと思います。

これは決して後ろ向きな考えでは無いんです。

若い人たちは、自分たちの家族を守ったり、新しい未来を作っていくことに全力を尽くしてほしい。

社会の新陳代謝です。

私は介護の経験はまだありませんが、「赤ちゃん」のお世話は経験があります。

赤ちゃんのお世話は産まれてからしばらくは、とてもとても大変です。

しかし、幼稚園に入ればだいぶ軽減されますし、日々、できなかったことが少しずつできるようになるという「成長」が見られ、そこには「喜び」があります。

そして、発狂するくらい大変な日も沢山ありますが、何より赤ちゃんはかわいいので、しみじみ癒される瞬間も沢山あり、そこには「希望」もあるのです。

しかし、介護・・・

あんなにしっかりしていた親が年々弱っていきます。

ここに痴呆が入ってくると、赤ちゃん返りのようになっていき、年々理性を失っていくかもしれません。

汚物をもらす親・・・

徘徊をしてしまう親・・・

怒鳴り散らしてしまう親・・・

怒鳴り散らし返す介護者・・・

いつ終わるのか分からない。

こうした中で悲しみと絶望感によって、自分の理性やキャパシティを大きく超え、ニュースになる悲劇が生まれたとき、とても介護者を責められないものです。

一生懸命、自分の人生、時間を費やして頑張ってきたのに、最後は犯罪者のようになってしまう。

こんなに悲しいことはありません。

安楽死という重要な問題提起

橋田壽賀子さんはとても重要な問題提起、選択肢の提案をされたと思います。

私も、もし介護状態になり、痴呆が出てしまったとき、もし安楽死の選択肢があれば、迷うことなく選択するでしょう。

残された家族にも、理性を失って汚物をもらしてしまう親よりも、良いイメージのまま覚えていて欲しい。

残された家族に負担をかけたくない。

こういう風に思うことは、人として、「間違った感情ではない」と思います。

日本でも賛成が多い安楽死アンケート

安楽死がこれまで、国を挙げて積極的に推し進められてこなかった背景を考えると、安楽死に反対の人が多いのかなと思いがちです。

しかし、日本において、一般社団法人 大阪府医師会が行ったアンケートでは、なんと6割弱の方が「安楽死に賛成」であったという結果が出たそうです。

非公式のアンケートなども検索すると出てきますが、そこでも「賛成」が大勢を占めます。

尊厳死・安楽死の要件

尊厳死の3要件

安楽死の他に「尊厳死」というものがあります。

安楽死は、耐えがたい苦痛などから逃れる為、意図的に死期を早める方法です。

尊厳死は、延命するだけの治療などをやめ、自然に任せて最期を迎えるという意味です。

これには要件があり、

➀患者が治癒不可能な病気に冒され、回復の見込みがなく、死が避けられない末期状態にある。

➁治癒行為の中止を求める患者の意思表示か、家族による患者の意思の推定がある。

➂「自然の死」を迎えさせる目的に沿った決定である。

(NEWSポストセブンより引用)

こういった要件にあてはまれば、人としての尊厳を保ったまま死を迎えることができます。

安楽死の6要件

人の死を意図的に早める安楽死は基本的には国内で認められず、刑法第199条の殺人罪、第202条で嘱託(同意)殺人罪などに問われます。

しかし、昭和 37年 12 月の名古屋高等裁判所の判決(通称、山内判決)において、安楽死が許容される 6 要件が示されました。

➀「病者が、現代医学の知識と技術からみて不治の病に冒され、しかもその死が目前に迫っている事。」

➁「病者の苦痛が甚だしく、何人も真にこれを見るに忍びない程度のものなること。」

➂「もっぱら、病者の死苦の緩和の目的でなされたこと。」

④「病者の意識が、なお明瞭であって、意思を表明できる場合には本人の真摯な嘱託、または承諾のあること。」

⑤「医師の手によることを本則とし、これによりえない場合には、医師によりえないと肯首するに足る特別な事情があること。」

⑥「その方法が倫理的にも妥当なものとして認容しうるものなること。」

国立国会図書館 安楽死と末期医療より引用

安楽死の4要件

そしてもう1例、1995年3月の横浜地裁判決、東海大学病院殺人(安楽死)事件においては、以下の4要件が示されました。

➀患者が耐え難い肉体的苦痛に苦しんでいる。

➁死が避けられず、死期が迫っている。

➂肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし、ほかに代替手段がない。

④生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示がある。

(NEWSポストセブンより引用)

この事件では、被告人の医師は、有罪とはなったものの、懲役2年、執行猶予2年ということで、殺人罪に匹敵するような刑の重さにはなりませんでした。

よって、法的には認められていないという前提でありながらも、要件にあてはまる状況であれば、実質的には刑務所に入る事態にはならないと考えられます。

まとめ

現行法では安楽死が認められていないばかりか、判例で「許容される」とするその要件も、末期がんのような状態で回復の見込みがなく、肉体的な苦痛を伴っている場合など、かなり限定的です。

よって、橋田壽賀子さんのように、ある程度年を取ったら自分の意思で楽に死ねるようになる、という状況までには程遠いことがわかりました。

もちろん、安楽死を認めることのデメリットも分かります。

年を取ったとき、自分はまだ生きていたいのに「早く死んでくれたらいいのに」という周りからの無言の圧力を感じる恐れが無いとも言えません。

しかしもう、楽観視できないくらい少子高齢化は進んでおり、現役世代が高齢者を支え切れなくなっていて、国の借金が年々雪だるま式に増えています。

その原因の大きな部分は、年金や医療費といった社会保障費がものすごく大きいからです。

これ以上、問題を先延ばしにして子供たち、若者に丸々負担を押し付けて良いとはとても思えません。

あまり言うと極端な優生思想を掲げる危ない人、のようになるので避けますが、社会の新陳代謝を促していかないと、子供たち、若者たちに胸を張って引き継げる社会にはとてもならないと思います。

皆さんはどう思いますか?

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