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夫婦のリアル・離婚を考える時2

雑記

「結婚は我慢」

自分が結婚をするとき、父親の放った言葉が忘れられない。

「結婚は我慢だ」

と。

正直、「父親から」その言葉を聞くとは思わなかった。

俺が見る限り、我慢を多くしているのは母親の方だと思っていたからだ。

父親は典型的な昭和の亭主関白親父であり、家事を一切しなかった。

一方母親は、パートに出ながら家事の一切を引き受け、よく体調を崩しては寝込んでいる姿を俺は見ていた。

父は、仕事から帰ると、臭いタバコを吸いながら、ナイターとビールで居間を占領した。

俺や母親はその間、当然見たいテレビが見れず、その不満もさることながら、夜中まで座る暇なく働く母親を見ながら、

「なんでこいつ(父)は家でぜんぜん働かないんだ」

と、当時はあまり父が好きでなかった。(・・・そう思うなら俺が動けばよかったのだが)

とにかく、「父が我慢をしている」、という風には到底見えなかった。

しかし俺も結婚し、子供も授かり、結婚生活を長く送っていく上で、我慢を強いられる場面がすごく多いことが分かる。

今思えば、母親は無理にパートに出る必要は無かったのだ。

父親の稼ぎは人並み以上にあったし、母は朝から夕方ごろまでおもいっきり羽を伸ばして好きなことをし、夕方以降になってから本格的に家事などで働き出す、という選択をしても全然良かったのだ。

しかし、その後聞く所によれば、家に閉じこもるのが嫌だから、母は「自分の意思」で、パートに出ることを選んだらしい。

結婚生活において、夫婦間では多分、細かく役割分担を決めている夫婦は少ないと思う。

「なんとなく」最初は男は外で女は内、から始まり、共働きや子が出来てからはだんだん男が担う家事が「なんとなく」増えていき、時が経つにつれ、これは俺担当、これは妻担当という「なんとなくの境界線」が出来ることとなるのではないか。

ただ、それでお互い「心から納得」することも少ないのではないか。

例えば俺は今、「夜の洗濯」を担当している。

夜に洗濯を済ますことで、日中の妻の負担が減る。

でもそれは「今、赤子が小さくて日中の嫁の負担が大きいと思うから、仕方なくやってあげている」と俺は思っている。

一方の妻は、私の方が大変なんだから、男がこのくらいの家事を請け負うのは「当たり前」という空気を出す。

もちろん逆もあるだろう。俺が妻が担当するのが当たり前と思っていることでも、妻側からは「こんくらいやってくれてもいいのに」と思っていることも。

なんとなくの境界線が出来ていても、その境界線の捉え方が、男と女で大きく異なり、それに対する小さな不満が、お互いに絶えず蓄積することとなる。

しかし、それをいちいち相手にぶつけていては到底もたない。

だからお互いに「我慢」をしなければならないのだ。

発散は、どうにか相手にストレートにぶつけなくて良いことでやらなければならない。

それがもしかしたら、父にとっての「タバコを吸いながらのナイター、ビール」であり、母にとっての「パート」だったのではないか。

「結婚なんてしなければいいじゃん」

これは、結婚する前か、結婚しても子供が居ない時に限る。

離婚は、子供にとって精神的に大きなダメージだし、シングルマザー、ファーザーはとても大変である。

世の中の、人を傷つける系の犯罪をする人は「家庭環境が悪かった」ことが多い。

「正直であること」、は一見美しいが、大の大人が、子供の前で「正直に、本音で」でケンカをしまくったとしても、それはそれで悪影響だろう。

だから、どうにか「我慢」をしつつ、お互いを嫌いにならないための「努力」が必要になるのだ。

「いつの間にか自分の担当になっている家事」

夫婦における「女性のしたたかさ」は、ものすごいものがある。

それが分かっていながら、夫は「いろいろ考えると妻のペースに合わせた方がトラブルが少ない」、と判断してしまうことになる。

例えば、今俺が「夜の洗濯担当」に、いつの間にかなってしまっているのも、「妻のしたたかさ」の為し得た技である。

とにかく、俺の前できつそうにする。

自分がいかに子供の日中の世話が大変だったかを切々と語る。

葛根湯を飲みだす。

「なんかのど痛い」という。

肩がこっているアピールをする。

ため息をつきながら食器を洗う。

・・・いろいろある。

俺は仕事から帰宅すると、すぐに風呂に入り、そのまま残り湯を使って洗濯を行う。

更なる残り湯は捨てて、そのまま風呂掃除を行う、というルーティンが確立されている。

これは、ある日、本当に妻がきつそうだったときに行ったことだったと思うが、「しめしめ、こういうことも出来るのか。」と本能的に思い、しれっと俺の仕事にいつの間にかしてしまうのだ。

それを断ろうものなら「いろいろ考えると妻のペースに合わせた方がトラブルが少ない思考に陥らせる術」を使い、とたんに不機嫌になる。

「魔女」

こういう状況に何度も遭遇するうちに「魔女狩り」という言葉を思い出す。

なぜ「魔女」なのか。なぜ男では無いのか。

魔女狩りも、正確には男性が含まれていたようだが、割合としては圧倒的に「女性」だったそうだ。

確かに女性には、魔法とまでは言わなくとも「特殊な能力」があるな、と思わせることがある。

「女の第六感」という言葉もあるが、とにかく勘がするどい。

たまに、人の内面を見るかのような目つきをする。

卑弥呼
細木和子
宜保愛子
新宿の「母」

など、感覚が通常より鋭い人は「女性」が多い。

当時の男たちは、こうした「鋭い女たち」に恐れおののき、魔女狩りに走ったのではないか、そんなことを考えてしまう。

女性たちの力がどんどん強くなっていっているのを感じる。

家事、育児の負担は男がどんどん担わされている。

男は男の武器である「力」で反発できなくなっている。

男尊女卑の逆転が確実に起こっている。

まさに女尊男卑なのだが、これは今のうちだけではないかと思っている。

それは、多くの成人男性は「女性には優しくしなければならない」という刷り込みがあるからだ。

しかし、こうした女尊男卑や、なんでもかんでも「男女平等」をしようとする世の中で、男の中でこうした意識も薄くなっていくだろう。

100年後、婚姻制度はまだ残っているのだろうか。

そんなことをふと考えたりした。

離婚危機をこうして乗り越える

結婚に対し、ネガティブなことをさんざん書いてきたが、やっぱり、簡単には離婚出来ない。

それはやはり「子供の存在」である。

今、ケタケタと屈託なく笑っている子供に対し、簡単に悲しい思いをさせる訳にはいかないのだ。

それには、やはり妻に対し「理解する努力」が必要であり、逆に「妻に理解させる努力」も必要だと思う。

自分一人で抱え込む必要はないし、我慢し続ける必要も当然ない。

「嫌なことは嫌だ」という強い意志も示すことが時には必要なのだ。

なんでもかんでも言われっぱなしで、我慢させられっぱなしだと、妻はそれが当たり前になってしまう。

「その一線超えたら俺だってキレるよ」

という線を示すことも重要だと思う。

そして、やはり子育ては二人でしている、という実感を互いに持たなくてはいけない。

そのために最も有効だと思うのは「夫がご飯を作れる事」。

ご飯を作るのは家事の中でもっとも負荷が高い。

献立を考え、買い出しを行い、作る。後片付けもする。

これを最初は週に1回、日曜日の朝だけでも担う。

そして徐々に回数を増やし、妻が風邪で倒れても家の中が回るようにする。

こうなった時、夫婦のきずなやレベルも相当上がると思う。

簡単ではないけど、我が家はこうしてうまくやれている。

うまく行っていない夫婦は、うまく行かない原因が分かっていると思う。

そこを何とか「お互いにへりくだる」ことで乗り越えて欲しい。

片方が意固地になっているうちは修復は難しいだろう。

例えセックスレスになろうとも、子供の笑顔を簡単に無くさないで欲しい。

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